ビールの歴史とは?ビール業界に変化をもたらした偉人たち

こんにちは、JUNGLE BREWERY(ジャングルブルワリー)スタッフです。

JUNGLE BREWERY(ジャングルブルワリー)は、代表 島袋尚美の「環境に優しい国産のクラフトビールを作りたい!」という想いに共感したスタッフで運営している、クラフトビールのメーカーです。

今回は、近代ビールの歴史に大きな影響を与えた人々についてご紹介します!

近代ビールの誕生 – 産業革命と技術革新が生んだ「大衆のビール」

近代ビールが誕生する以前、ビールは現在のように均一な品質で流通する飲み物ではありませんでした。

当時は地域ごとに異なる製法で造られており、保存技術や発酵のコントロールも発達していなかったため、同じレシピで造っても風味やアルコール度数などにばらつきがあったと言われています。

また、現在のように透明なビールはほとんどなく、濁った外観が一般的でした。

フィルター技術が発達しておらず、麦芽のカスや酵母が混ざったままの状態で提供されていたのです。

さらに、酸化しやすく雑菌の影響も受けやすいため、ビールの保存性は低く、地元で造られたビールをすぐに消費するのが普通でした。

黄金のピルスナー誕生 – ビールの透明化

19世紀に入ると、ビールの生産技術は飛躍的に進歩します。その中でも最も大きな革新のひとつが、1842年にチェコの ヨーゼフ・グロル によって誕生した ピルスナービール です。

それまでのビールは濁っていて、味わいも地域によってバラバラでした。しかし、グロルは新たなラガー酵母と低温発酵技術を駆使し、透き通った黄金色で、爽やかな喉ごしのビール を生み出します。このピルスナーは瞬く間にヨーロッパ中に広まり、現在のビール市場の約70%以上を占める主要スタイルへと成長しました。

ルイ・パスツールの発酵研究 – 安全で長持ちするビールの誕生

次の大きな革新は、フランスの微生物学者 ルイ・パスツール による発酵の研究です。彼は、ビールの腐敗が微生物によるものだと突き止め、1860年代に低温殺菌法(パスチャライゼーション) を開発しました。

この技術のおかげで、ビールの保存期間が飛躍的に向上し、輸送が可能になったことで世界中へ広まる ことになりました。

産業革命がもたらしたビールの大量生産

19世紀後半になると、イギリスやドイツを中心に産業革命が進み、ビールの大量生産が可能になります。
これにより、ビールは貴族や僧侶だけのものではなく、大衆の飲み物へと変化していきました。

この時期に世界中で急成長したのが、ドイツ発祥の「ラガービール」とイギリス発祥の「エール」 です。

ラガービールは低温発酵でクリアな味わいが特徴的な一方で、エールは常温発酵することでコクと豊かな香りを作り出しています。

これらの技術はアメリカへも渡り、後のクラフトビール文化の土台を築くことになります。

アメリカのクラフトビール革命 – 大量生産から個性への回帰

大手ビールの台頭と画一化

20世紀に入ると、アメリカでは巨大なビールメーカーが市場を独占するようになりました。

特に バドワイザーやミラー、クアーズ などの大手ブランドが、安価で飲みやすいピルスナータイプのビールを大量生産するようになります。

しかし、これによりビールの個性は失われ、多くのビール愛好家たちは「昔ながらの豊かな味わいのビールが消えてしまった」と嘆くようになりました。

フリッツ・メイタグとクラフトビールの復活

そんな中、1965年にカリフォルニア州の フリッツ・メイタグ は、小規模ブルワリーである「アンカーブリューイング」を廃業の危機から立て直し、伝統的な製法を守るビール造りを始めます。

フリッツ・メイタグは、ビール市場が大量生産ラガーだらけだった時代にIPAやポーターなど多様なビールを発売し、アンカー社は再び人気を集めました。

彼の試みは後のクラフトビールムーブメントの火付け役となり、1980年代には小規模ブルワリーが次々と誕生。個性を重視したビール造りがアメリカ全土に広がりました。まさに、クラフトビールの世界の師匠とも言える存在です。

この流れは、やがて日本にも波及していきます。

日本におけるビールの始まり – 横浜から広がったビール文化

日本初のビール醸造所 – ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー

日本にビールが伝わったのは、江戸時代の幕末(17世紀後半) だとされています。

長崎の出島に滞在していたオランダ人が持ち込んだビールが、日本人にとっての「初めてのビール」でした。

しかし、当時の日本人にとってビールは馴染みのない飲み物であり、苦味のある味わいはすぐに広まることはありませんでした。

その後、日本で本格的にビール醸造が始まったのは 1869年(明治2年) です。

横浜山手46番地に 「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」 という日本初のビール醸造所が開設されました。

この醸造所は、当時横浜に住んでいた外国人向けにビールを提供するために設立され、輸入ビールに頼ることなく、日本国内でのビール生産が可能になったのです。

しかし、このビールはまだ日本人向けではなく、一般の日本人の間でビールが普及するには時間がかかりました。

その後、1872年には大阪で「渋谷(しぶたに)ビール」、1876年には札幌で「開拓使麦酒醸造所」(後のサッポロビール) が設立され、次第に日本人の嗜好に合ったビールが造られるようになっていきます。

明治時代になると、西洋文化の流入とともにビールは上流階級を中心に徐々に広まり、20世紀初頭には サッポロビール、アサヒビール、サントリー(当時は寿屋) などの大手ビールメーカーが誕生。

日本のビール市場は急成長しました。しかし、この時代のビールは 「大手メーカーによるラガービール」が主流 であり、小規模な醸造所はほとんど存在しませんでした。

日本のクラフトビールの誕生 – 1994年の酒税法改正

長らく日本のビール市場は大手メーカーが独占していましたが、1994年に大きな転機が訪れます。それが、酒税法の改正 です。

この改正により、ビールの最低生産量の規制が 年間2000キロリットルから60キロリットル に引き下げられ、小規模ブルワリーの設立が可能になりました。

これをきっかけに、日本各地で地ビール(現在のクラフトビール)が生まれることになります。

日本で最初にクラフトビールを造った上原誠一郎

クラフトビール文化を日本に根付かせた立役者のひとりが、エチゴビールの創業者、上原誠一郎氏です。

1994年の酒税法改正により、小規模ブルワリーの設立が可能になると、上原氏は家業の上原酒造の一部門としてエチゴビールを立ち上げます。この決断は、当時の日本では画期的なものであり、日本のクラフトビールの先駆けとなりました。

上原氏の芸術家としての視点は、エチゴビールのブランドデザインにも反映されています。ビールを片手に微笑む雄ヤギのイラストは、上原氏が欧州で知り合ったドイツ人絵本作家の作品で、雄ヤギはドイツやチェコで豊作や商売繁盛のシンボルとされています。

エチゴビールは、上原氏の個性的な視点と情熱が詰まったクラフトビールとして、日本のクラフトビール文化の発展に大きく貢献しました。

おわりに

ビールの歴史はかなり長く、さまざまな変化をしながら今のクラフトビールが出来上がっていると考えると感慨深いですね。

ビールの歴史を知ることで、クラフトビールの味わい方も変化すると思います。

これからもいろんなビールを楽しみながら、その歴史にも思いを馳せてみてください!

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JUNGLE BREWERY(ジャングルブルワリー)
「たのしいはツクレル」をテーマに、島袋尚美をはじめとするビール好きが立ち上げたクラフトビール事業。フードロスの観点から規格外野菜を活用し、SDGsに特化したアップサイクルなクラフトビールづくりを行っています。

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島袋尚美(しまぶくろ なおみ)
株式会社ゆいまーるの代表取締役社長。『若者のエンパワーメントを通じて、日本を元気に』を理念に、JUNGLE BREWERY(クラフトビール事業)、Itoop(ITコンサルティング)、ビーガンコンサルティング、講演、営業代行などに取り組んでいます。28歳で独立した後に国際結婚を経て、現在は子育てをしながらママ社長として活躍中。